・腰痛は「怒り」と言うけれど



わたしのメイン疼痛?は足ですし、的外れと言われてもいいですが。
腰痛は十数年の長きに渡り経験ありますし今現在もちょっとのことで腰痛には見舞われますし、いわゆるギックリ腰も何度か経験はしています。
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腰痛は 「怒り」 と専門家な方々が仰っていらっしゃるけれど。
わたしは個人的に、そういう、感情を表す単純な言葉で表現するならば、
腰痛は 「怒り」 より、「悲しみ」。

さらに突っ込んで表現するなら 「抑圧」 と思う。

わたしの個人的感覚では正に 「抑圧」 以外の何者でもない。
どうも専門家な方々の仰る言葉は整形外科的範疇の体の不具合に長年苦しんでいる身としましては、
健康度が高すぎる。
一歩足を踏み出す毎に激痛が走る生活を10年やっているわたしの感覚には合わない。

そりゃね、もうね、もっと、もっと、どろどろですよ。

「怒り」 はパッションです。
そんな、ある種 「情熱」 を含んだ言葉も意味合いも感覚も、ないです。
経験したら解ります。
滅多なことでは経験できないと思いますけど。

一歩足を踏み出す毎に、激痛が走るんですよ?
わたしの場合、足に。
歩いている間はずうっと激痛を伴っているんです。
ちょっと体重を移動するだけで激痛。
バランスを取るだけで激痛。
体の向きをほんのちょっと変えるだけで激痛。
足にかかっている圧力を抜くだけで激痛。
座る時も激痛。
立つ時も激痛。
ちょっと屈むだけで激痛。

その、全てを、「我慢」 しています。

10年間一日も休むことなく、完璧に 「我慢」 してきました。今現在も毎日数えられない 「我慢」 をしています。
ただただ、「我慢」。 「忍 」 の一文字です。
痛い度にいちいち 「痛い」 なんて言いません。言っても無駄でしかありませんから。
まわりにいる自分以外の人間に嫌な思いをさせるだけですから。
自分の性格も、歪む一方になってしまいますし。
「笑顔」 で、我慢していますよ。
何をする時も、どこへ行っても、激痛の嵐の中で絶えることのない我慢を笑顔でしています。
わたしの生きる支えであるコンバスを練習する時も、レッスンを受ける時もそうです。激痛の嵐の中、絶えることのない我慢を笑顔でしながら、弓を弾いています。

人は、自分に経験のない人の痛みなんて、いくら美辞麗句的な同情の言葉を並べたところで、感覚的に解るわけはないんです。
どの程度関心を寄せられるか、寄せられないのかの、程度の差があるだけです。

生活の中で、毎日毎日何回激痛を体験しているか、数えたこともありませんが。
数えたところで100パーセント、無駄であり無益であり無慈悲な空虚でしかありませんから。
むしろ煉獄のような行為ですね。
暗澹たる絶望を再確認するだけです。

そういう数えようもないような激痛の日々が10年続くと、それが 「人生」 になります。
生活どころか、「人生」 そのものに成り代わります。
当然性格も変わってきます。

そこに 「パッション」 は無い。
悲しみ。絶望。諦め。超消極。自己否定。空虚。歪み。
そんなもんでしかないです。

これは 「感覚」 を言葉で表現するならば、わたしの場合はこうです。という個人的なものです。
積極的な専門家の方々は患者に対しどうしたら痛みを緩和できるのか、日々研究や研鑽を積み重ね、努力していらっしゃって。
それはとってもとっても有難いことですが。

言葉に敏感な者といたしましてはやはり、「怒り」 というパッションを含む単純明快な一語には、多少の違和を覚えることは、否めません。

専門知識もないのに生意気言ってすみません。といことになりますが。
あくまでもわたし個人の感覚のおはなしですので。あしからず。









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by soranosoto | 2016-05-25 22:52 | ・ 今日の戯言・・ | Comments(0)
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