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・膝の上の猫3


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おこたに入ったわたしの足の上。
居心地好い場所取りと体勢確保に皆さん右往左往。
わたし身動き取れませんけど、可愛いので許しちゃう♡
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by soranosoto | 2015-11-26 12:00 | ・今日ら辺の猫3(=^ェ^=)v | Comments(0)

・その人、



わたしのメンタル事情を話せる人がかつていた。ただ一人。
全てを、何も可もを。



当時のまだまだ若かった、30歳前後の頃のわたしは、更に若い、20代の始めの頃に離婚をし、子供一人を抱え、スキルも経験も学歴もお金もコネも頼る人も何一つ持たないままに、その子を食べさせるお金を獲るべく辛うじて、しどろもどろに働いていた。

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保育園に通っていた頃には親から、「この子は自閉症だから」。というレッテルを宣われて、事あるごとに、事がなくても、うちでも外でも誰がいても、嘲りを伴いつつ、言われていた。ただ親が、「自閉症」の正しい意味を何一つ知らなかったことは明白だ。
幼児の頃から他の子供とは違うニュアンスを持ち、人に慣れず迎合もせず、親に違和し不信をし、親から嫌悪の念が自分に発せられていることを決して見逃すこともなく、自分の感性という、世間から一線を画した感覚の世界から物事を見ることしかできなかった、極めて不器用で極めて真面目で極めて感覚の鋭敏だったわたしは、自分と、自分以外の他の人との間にある感覚のズレを、家でも外でもどこでも、完全に寝ている時以外は絶えることなく浴び続けて、ホトホト嫌気が差し、疲弊し、10歳を過ぎる頃には漠然と、死ぬことに憧れていた。

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10代も半ばになると、更年期障害と何ら変わることのない症状を呈し、10代後半の頃に、誰にも言わず一度自殺を試みたけど未遂に終わり生還し、その後も心身に様々に不調をきたし、20代後半の頃にはもう、身も、心も、生きることにも、疲れ果てていた。いつ死んでもおかしくない程に。

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その頃、偶然そこにいたその人に、自ら会いに行った。
もうこれ以上は、自分独りの力で、自分を生きることを続けてはいけないという、最後の結論、確信に達し、いつ死んでもおかしくない自分を、自らの死への留まらない欲求を、抑えるべく。
自分の死で、子供の心に、一生拭えない悲し過ぎる大き過ぎる傷と涙を、決して落としてはいけないという思い、その一心で。
内的な内情を下手な文章でびっしりと書き綴った十数枚のレポート用紙を携えて。

その人との面会は数年続いた。
けど3回目の結婚相手、今の夫が、無様に、無用に、何一つ的を得ることなく、わたしのこと、に介入した事により徐々に、わたしはその人に見切りをつけた。

今はもう会うこともない。
どうしているのだろう。

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30代も40代も死への希求を拭いきれないままヨレヨレに生きて、なんとか死なずに生き延びて、54歳の立派なおばさんになった今のわたしなら、「普通」の枠の中で、「普通」に話すことも出来なくもない。
お茶でも呑みながら、お互い歳をとりましたねなんてことも、サラッと言えることだろう。

もしかしたら余りの懐かしさと、いろいろあった様々な共通の感覚に押し流されて、泣いてしまうかもしれない。
それでもいい。もしかしたらそれがわたしの懺悔にもなり、禊ぎにもなるかもしれないし。

だからと言って、どうしても会いたい、何が何でも会いたい、という訳でもない。
自然でいい。
自然の流れで。

会えることになれば会うし、会えなければ会えない。
そういうことだ。

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先生、わたしは本当に、おばさんになりました。
今なら逆に、あなたの良い茶呑み友達に、なれるかもしれませんよ?
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by soranosoto | 2015-11-14 23:38 | ・ 今は昔の・・ | Comments(0)

・口パク園児


Pーちゃんは声出さないように!
と園児のわたしは先生に言われ、保育園内でただ一人、歌禁止園児になりました。

保育園児だった頃、わたしは歌うことが大好きでした。とってもとっても何よりも。一番・・・。
そして美しい音楽に激しく反応する子供でした。例えればオーケストラが奏でる、クラシック音楽のような。

保育園では園児のみんなで歌うお時間がありました。みんなで並んで一つの歌を歌う、合唱です。
わたしは大好きな歌を歌えることがそれはそれは楽しくて嬉しくて、大きな声で、張り切って歌っていました。大人の言葉で言えば、いいものをつくらなきゃね!的な気持ちで。

気を良く歌っていると、先生が、「Pーちゃん、もうちょっと声を小さくしてね」と。
何でそういうことを言うんだろう?と意味が解りませんでした。
「大きな声で!」ってその前に先生が言っていましたからね。
それで気を落として多少音量を下げて歌っていると、
数人いた先生達はお互いに困った表情を作り合いながら確信的に目配せをしつつ、「Pーちゃん、もっともっと声を小さくして・・・!」

更に気を落とし声量を落とし、そういうことを言われる意味が不明のまま歌っていると今度は怒りの混じった厳しい声色で、「Pーちゃん、もっともっと小さい声で・・・!」
更に更に気を落としてあまりの意味不明さに半ばパニックになりながら歌っていると今度は
「Pーちゃん、一つ後ろに下がってみて?」

え?何で?
最前列の真ん中辺りにいたわたしは一段後ろに下げられました。
これじゃわたしの声が益々先生に聞こえにくくなっちゃうよ・・・。
と思ったわたしはちょっとだけ声を大きくして歌って。
そしてまた一段後ろに。
更に位置を徐々に端にずらされて、とうとう一番後ろの一番端っこに。

その時にはわたしはもう、歌う気力なんて無くなっていました。もう歌なんてどうでもいいわって。
先生達は、ゴニョゴニョと、そしてササッとお互いに自分達の意思統一を図ったあと、最後通告です。
「Pーちゃん、声は出さなくていいから、歌う真似だけ、出来るわよね!?」と。
極まりない、侮辱を受けた思いがしました。
嫌だ!これ以上歌うことをしたくない!と、心底、どん底気分で思っていたわたしは、声を閉じ、心も閉じ、俯いていました。
そうしたら先生はご親切にも、口パクの指導をしてくれました。
「声は出さないけど、口だけは動かして。この歌知ってるでしょ!?」ってな塩梅に。
そういうことを言われた事実が、状況が、信じられない思いでした。
もっちろ~お~ん、知ってますとも。だからアレンジできるわけで。先生って馬鹿なの?

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意味をね、教えてくれたら良かっただけの話し。
それは、何故なのか。と。
まあ今から48年くらい前の幼児教育事情の中でのことでしょうかけどね。
それにしても、子供ってのは余程脳もなく馬鹿なものなのだと思われていたんでしょうか。
それともわたし個人に限ってが、余程の物分りの悪い馬鹿な子供、に思われたのかもしれませんね。

わたしは歌が大好きで、美しい音楽に激しく内的に反応して、その中に心の底から浸る子供でした。そんなこと誰にも言ったことなんてありませんでしたけどね。
それが高じてか、その合唱の時間にも、アレンジを施していたのです。意思的に。
ここをこうしたら、ありふれたお決まりのものではなく、別のこんな感じになる。見違えて違う魅力が出て来る。ほらね、とっても素敵でしょ?って。
それをみんなにも知らせてあげたい。先生にも知ってほしい。
楽しいよー、ステキだよー、と・・・。
もちろん元のメロディをきちんと把握していたことは言うまでもありません。

意図や意味が解らなくてコンガラガってる子供であるならば、ちゃんと言ってよね~。
求む説明。
なのです。

大好きな歌を歌うことを禁止され意味も解らず口パクを強要されたわたしが、園の先生方に不信を抱いたのも、言うまでもありません。
どれほどのショックを受けて傷ついて心を閉ざしてしまったか、先生方の誰一人、想像もしなかったでしょうね。

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大人な方々、何一つ理由を知ろうとするアタマを持たず、問答無用でバッサリ切り捨てる。の止めてあげて。
子供は圧倒的に経験が少なく、理路整然と道理を説明出来る言葉をまだ獲得しておらず、自分の胸の中、頭の中にある膨大なイマジネーションを、上手に伝える手段を持っていないだけのこと。
時に大人なんて遥か下に成り下がる程に、素晴らしい知性や感受性や想像力で、本人も次々に湧き上がってくるクリエイティブやひらめきにどうしていいのかわからないくらい、種々多様な素質や可能性を、持っているのです。
どんな子供もね。

その、まだ日を浴びることすら経験していない子供の芽を、未来を、わざわざご丁寧にも一つ一つ、押さえ付けて潰してむしりとって捨てていくのは、大人にほかならない。

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たった一回、たった一言、何故? って聞いてくれたら、全てが一瞬にして解決していたのに。
子供は物や事や言葉を知らないのが当然のことであって、決して馬鹿なのではありません。
それを大人が、ただ大人であるということだけで、上から目線で侮蔑するのは、以ての外。
誰だってほっといたって、時間が経てば中身はどうでも大人にはなるのですよ。
それにね、人は、千差万別です。

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本来、子供の可能性は、無尽蔵なのですよ?
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by soranosoto | 2015-11-12 07:07 | ・ 今は昔の・・ | Comments(0)