カテゴリ:・ 今は昔の・・( 6 )

・その人、



わたしのメンタル事情を話せる人がかつていた。ただ一人。
全てを、何も可もを。



当時のまだまだ若かった、30歳前後の頃のわたしは、更に若い、20代の始めの頃に離婚をし、子供一人を抱え、スキルも経験も学歴もお金もコネも頼る人も何一つ持たないままに、その子を食べさせるお金を獲るべく辛うじて、しどろもどろに働いていた。

          ・

保育園に通っていた頃には親から、「この子は自閉症だから」。というレッテルを宣われて、事あるごとに、事がなくても、うちでも外でも誰がいても、嘲りを伴いつつ、言われていた。ただ親が、「自閉症」の正しい意味を何一つ知らなかったことは明白だ。
幼児の頃から他の子供とは違うニュアンスを持ち、人に慣れず迎合もせず、親に違和し不信をし、親から嫌悪の念が自分に発せられていることを決して見逃すこともなく、自分の感性という、世間から一線を画した感覚の世界から物事を見ることしかできなかった、極めて不器用で極めて真面目で極めて感覚の鋭敏だったわたしは、自分と、自分以外の他の人との間にある感覚のズレを、家でも外でもどこでも、完全に寝ている時以外は絶えることなく浴び続けて、ホトホト嫌気が差し、疲弊し、10歳を過ぎる頃には漠然と、死ぬことに憧れていた。

          ・

10代も半ばになると、更年期障害と何ら変わることのない症状を呈し、10代後半の頃に、誰にも言わず一度自殺を試みたけど未遂に終わり生還し、その後も心身に様々に不調をきたし、20代後半の頃にはもう、身も、心も、生きることにも、疲れ果てていた。いつ死んでもおかしくない程に。

          ・

その頃、偶然そこにいたその人に、自ら会いに行った。
もうこれ以上は、自分独りの力で、自分を生きることを続けてはいけないという、最後の結論、確信に達し、いつ死んでもおかしくない自分を、自らの死への留まらない欲求を、抑えるべく。
自分の死で、子供の心に、一生拭えない悲し過ぎる大き過ぎる傷と涙を、決して落としてはいけないという思い、その一心で。
内的な内情を下手な文章でびっしりと書き綴った十数枚のレポート用紙を携えて。

その人との面会は数年続いた。
けど3回目の結婚相手、今の夫が、無様に、無用に、何一つ的を得ることなく、わたしのこと、に介入した事により徐々に、わたしはその人に見切りをつけた。

今はもう会うこともない。
どうしているのだろう。

          ・

30代も40代も死への希求を拭いきれないままヨレヨレに生きて、なんとか死なずに生き延びて、54歳の立派なおばさんになった今のわたしなら、「普通」の枠の中で、「普通」に話すことも出来なくもない。
お茶でも呑みながら、お互い歳をとりましたねなんてことも、サラッと言えることだろう。

もしかしたら余りの懐かしさと、いろいろあった様々な共通の感覚に押し流されて、泣いてしまうかもしれない。
それでもいい。もしかしたらそれがわたしの懺悔にもなり、禊ぎにもなるかもしれないし。

だからと言って、どうしても会いたい、何が何でも会いたい、という訳でもない。
自然でいい。
自然の流れで。

会えることになれば会うし、会えなければ会えない。
そういうことだ。

          ・
          ・

先生、わたしは本当に、おばさんになりました。
今なら逆に、あなたの良い茶呑み友達に、なれるかもしれませんよ?
[PR]
by soranosoto | 2015-11-14 23:38 | ・ 今は昔の・・ | Comments(0)

・口パク園児


Pーちゃんは声出さないように!
と園児のわたしは先生に言われ、保育園内でただ一人、歌禁止園児になりました。

保育園児だった頃、わたしは歌うことが大好きでした。とってもとっても何よりも。一番・・・。
そして美しい音楽に激しく反応する子供でした。例えればオーケストラが奏でる、クラシック音楽のような。

保育園では園児のみんなで歌うお時間がありました。みんなで並んで一つの歌を歌う、合唱です。
わたしは大好きな歌を歌えることがそれはそれは楽しくて嬉しくて、大きな声で、張り切って歌っていました。大人の言葉で言えば、いいものをつくらなきゃね!的な気持ちで。

気を良く歌っていると、先生が、「Pーちゃん、もうちょっと声を小さくしてね」と。
何でそういうことを言うんだろう?と意味が解りませんでした。
「大きな声で!」ってその前に先生が言っていましたからね。
それで気を落として多少音量を下げて歌っていると、
数人いた先生達はお互いに困った表情を作り合いながら確信的に目配せをしつつ、「Pーちゃん、もっともっと声を小さくして・・・!」

更に気を落とし声量を落とし、そういうことを言われる意味が不明のまま歌っていると今度は怒りの混じった厳しい声色で、「Pーちゃん、もっともっと小さい声で・・・!」
更に更に気を落としてあまりの意味不明さに半ばパニックになりながら歌っていると今度は
「Pーちゃん、一つ後ろに下がってみて?」

え?何で?
最前列の真ん中辺りにいたわたしは一段後ろに下げられました。
これじゃわたしの声が益々先生に聞こえにくくなっちゃうよ・・・。
と思ったわたしはちょっとだけ声を大きくして歌って。
そしてまた一段後ろに。
更に位置を徐々に端にずらされて、とうとう一番後ろの一番端っこに。

その時にはわたしはもう、歌う気力なんて無くなっていました。もう歌なんてどうでもいいわって。
先生達は、ゴニョゴニョと、そしてササッとお互いに自分達の意思統一を図ったあと、最後通告です。
「Pーちゃん、声は出さなくていいから、歌う真似だけ、出来るわよね!?」と。
極まりない、侮辱を受けた思いがしました。
嫌だ!これ以上歌うことをしたくない!と、心底、どん底気分で思っていたわたしは、声を閉じ、心も閉じ、俯いていました。
そうしたら先生はご親切にも、口パクの指導をしてくれました。
「声は出さないけど、口だけは動かして。この歌知ってるでしょ!?」ってな塩梅に。
そういうことを言われた事実が、状況が、信じられない思いでした。
もっちろ~お~ん、知ってますとも。だからアレンジできるわけで。先生って馬鹿なの?

                ・
                ・
                ・

意味をね、教えてくれたら良かっただけの話し。
それは、何故なのか。と。
まあ今から48年くらい前の幼児教育事情の中でのことでしょうかけどね。
それにしても、子供ってのは余程脳もなく馬鹿なものなのだと思われていたんでしょうか。
それともわたし個人に限ってが、余程の物分りの悪い馬鹿な子供、に思われたのかもしれませんね。

わたしは歌が大好きで、美しい音楽に激しく内的に反応して、その中に心の底から浸る子供でした。そんなこと誰にも言ったことなんてありませんでしたけどね。
それが高じてか、その合唱の時間にも、アレンジを施していたのです。意思的に。
ここをこうしたら、ありふれたお決まりのものではなく、別のこんな感じになる。見違えて違う魅力が出て来る。ほらね、とっても素敵でしょ?って。
それをみんなにも知らせてあげたい。先生にも知ってほしい。
楽しいよー、ステキだよー、と・・・。
もちろん元のメロディをきちんと把握していたことは言うまでもありません。

意図や意味が解らなくてコンガラガってる子供であるならば、ちゃんと言ってよね~。
求む説明。
なのです。

大好きな歌を歌うことを禁止され意味も解らず口パクを強要されたわたしが、園の先生方に不信を抱いたのも、言うまでもありません。
どれほどのショックを受けて傷ついて心を閉ざしてしまったか、先生方の誰一人、想像もしなかったでしょうね。

                ・
                ・
                ・

大人な方々、何一つ理由を知ろうとするアタマを持たず、問答無用でバッサリ切り捨てる。の止めてあげて。
子供は圧倒的に経験が少なく、理路整然と道理を説明出来る言葉をまだ獲得しておらず、自分の胸の中、頭の中にある膨大なイマジネーションを、上手に伝える手段を持っていないだけのこと。
時に大人なんて遥か下に成り下がる程に、素晴らしい知性や感受性や想像力で、本人も次々に湧き上がってくるクリエイティブやひらめきにどうしていいのかわからないくらい、種々多様な素質や可能性を、持っているのです。
どんな子供もね。

その、まだ日を浴びることすら経験していない子供の芽を、未来を、わざわざご丁寧にも一つ一つ、押さえ付けて潰してむしりとって捨てていくのは、大人にほかならない。

                ・
                ・
                ・

たった一回、たった一言、何故? って聞いてくれたら、全てが一瞬にして解決していたのに。
子供は物や事や言葉を知らないのが当然のことであって、決して馬鹿なのではありません。
それを大人が、ただ大人であるということだけで、上から目線で侮蔑するのは、以ての外。
誰だってほっといたって、時間が経てば中身はどうでも大人にはなるのですよ。
それにね、人は、千差万別です。

                ・
                ・
                ・

本来、子供の可能性は、無尽蔵なのですよ?
[PR]
by soranosoto | 2015-11-12 07:07 | ・ 今は昔の・・ | Comments(0)

・音痴の子供


わたしは子供の頃、音痴ということで有名でした(家庭内と隣近所で)。
例えば 「七つの子」 を唄うと、途中まではいいけど、中盤辺りから突如メロディーが素っ頓狂に崩れて、本来のメロディーとは全く違うものになる。
何回唄っても、そうなる。
親に言われて何回も唄わされたのを覚えています。
うんざりしましたよ。終いには。余計にメロディーもないがしろになって・・・
それでとうとう親は諦めました。
ああこの子は音痴なんだ、って。
わたしが親に 「音痴」 というレッテルをペタリンコと貼られた瞬間です。

わたしがかなり激しい 「音痴」 であることを親は余程不憫に思ったらしく、
その後わたしが歌を口ずさむと、それまでに見たこともないやさし~い笑顔で 、「うん。うん。」とでも言ってる感じに、唄っているわたしのことを「暖かく」「憐れんで」 見守るテイを装うのでした。

          ・
          ・
          ・

聞いてくれたら良かったのにね。
Pーちゃん、何で、そういう風に唄うの?って。
たった一回。たった一言。
そうしたら子供のわたしは、意気揚々と目を輝かせて、嬉々として、答えてあげたのに。

わたしは、アレンジをしていたのですよ。きっちりと、意図して。
例えば 「七つの子」 なら、途中まではそのメロディーと歌詞が自分的に一致していて、合点もいく。納得もできる。このメロディーにこの歌詞。素晴らしいんじゃない?と思える。
だから素直に唄える。
でも途中から、合点が行かない。このメロディーにこの歌詞は、合わない。嫌だ。気持ち悪い。
だから唄いたくない。
でも唄うことが大好きだしメロディーも好いし、続きもどうしても唄いたい。
じゃどうするか?自分で作ればいい。
で途中から自分で作ったメロディーに乗せて 「七つの子」 を、 唄っていただけのこと。

ちゃ~んと本来のメロディーなんて把握してますよ。
もともとのを唄って?って言われたら、普通に唄ってあげられました。
でもそういう事を言われたことなんて1回も無かったし。
ただ、唄って?って言われたら、そりゃ自分が良いと思う方を唄いますよ。
みんなにも教えてあげたかったし、こんなに良くなったよ?って、気づかせてもあげたかったから。

だけどわたしは 「音痴」 決定です。それも相当な。
誰一人として理解出来ないメロディーを、声も高らかに楽しそう~に唄っていたわけですからね。

          ・
          ・
          ・

その後わたしに、唄って?なんてだ~れも言わなくなりました。
特に人前で唄おうとすると、親は限りなく優しい体を装って、だけど目だけは険しくわたしを凝視して決して唄ってはいけない、と、暗黙の圧力をかけてくるようになりました。
もちろんわたしは唄いませんでしたよ。親の怖さを知っていましたからね。

そのうちにはわたしだって気づきましたさ。
ああ、自分の思うようにアレンジしちゃいけないんだなって。周囲の驚愕する反応の仕方を何度も経験しているうちにね。
特に人前では、そういうことはしてはいけないと。

          ・
          ・
          ・

あーわたし、別に音痴ではありませんよ。今も昔も。
たまにカラオケで唄ったりすると必ず言われます。
プロだ!とか。どこのクラブで唄ってるの?とか。どこのクラブ歌手より上手いとか。
違う!プロじゃない!素人!っていくら言っても信じてもらえなかったり。
店内がシーンとしてしまったり。特に女性陣からは、もう敵意というようなものまで醸し出されたり。
ホント嫌。
ただ好きで唄ってるだけなのに。わざわざお金出して唄ってるのに。みんなと同じなのに。ただのお客さんなだけなのに。

でも最近はそれもどうでもよくなりましたけどね。
もう慣れました。

          ・
          ・
          ・
          
世のお父さん、お母さん、子供には必ず、理由があるのですよ?
大人よりも重大だったり、深刻だったりする、理由が。原因が。

決してあなたの、数少ない、人生経験の乏しい脳みそ、だけの範疇で、決めつけてはいけません。
くだらないレッテル貼らないであげてね。

どれほど子供の可能性を狭め、子供の性格を萎縮させ、下手したらその子の生涯にまで、暗~~~い悪影響を及ぼすことになっても、何も不思議ではありません。

あなたの個人的な、心理的・感情的都合で、本来純真無垢なはずの、あなたの所有物でも何でもないあなたとは別個の、一人の人、としての子供の心を、無造作に操るのは止めてね。
空まで広がっていくような大きな大きな可能性を秘めている子供の感受性を、殺さないでいてほしい。

子供から天真爛漫な笑顔を、奪ってはいけません。
[PR]
by soranosoto | 2015-10-28 17:50 | ・ 今は昔の・・ | Comments(2)

・踊る反応


3歳の頃、商店街のパチンコ屋さんの前を通ると
何かの曲が店内から漏れ出て、外まで聞こえてきた。
それを耳でキャッチしたわたしは、繋いでいた母の手を振りほどき、
当然のこととして踊った。パチンコ屋さんの真ん前で。
なんだろ、当時のことだからツイストテイストだったかもね。
夢中になって踊って、もう楽しくて楽しくてたまらない。
やめられない。

そうして踊っているとふと何か壁のような気配を感じて、何気に前を見てみると
人だかりができていた。
いつの間にか何十人と覚しきギャラリーが発生していた。

わたしは、そんなに多くの人達が集まって来たのだから
てっきりみんなも一緒に踊るのだと思った。
で気持ち的にしばらく待ってみた。
でも誰一人踊る人はいなかった。

何でだろう?

さっぱり解らなかった。
みんなが踊らない理由が。

でも踊るのは止められないので引き続き踊っていると、
母に止められた。
母には逆らえないので、しぶしぶ踊るのを止めた。
そして「ああこういうことはしちゃいけないんだ」と学習した。

その後パチンコ屋さんの前を通っても、二度と踊らなかった。
カラダは一瞬反応するのだけど、抑えた。


嗚呼それから何十年。


今だってそう。
得にクラシック奏者の、プロフェッショナルな高次元のノリの凄さを脳が感じてしまうと、
カラダが勝手に反応する。
リズムをとって・・・踊りたくなる。
抑えるのが大変。
だって、本能のようなものだから。
本能抑えるって、結構大変。
ドン引きされるしね。
変人扱いは間違いない。
小さな子供なら可愛いですんでも、
大人じゃ変態にされるかも。日本だし。

なんて不自由なこと。
何処もかしこも何もかも。
そして極めてわたしの脳が。

つまらないったらありゃしない。

まあ3歳の頃からずうっと、そのつまらないをやってきたわけだねわたし。
全く、不毛だ。
何の意味もない!
ただの抑えがゆくゆくは症状を呈しそれが何十年も続いて顧みれば呆気なく人生を棒に振ったと思い知る前に、


どちら様も人生のご利用は賢く、なるべくお早めに祢。
[PR]
by soranosoto | 2012-09-24 01:22 | ・ 今は昔の・・ | Comments(10)

・絵・・


昔、まだ10代の頃、
絵を習いたいと思って、あるスクールに応募した。
本部は東京で、簡単な実技、テストがあって、
それらにパスしたあと、面接があった。
担当の人がこっちまで来て、近くの商工会議所の一室を借りて、面接をした。
授業料支払いのこともあるし、手続きのこともあるし、面接も、未成年の人は保護者同伴で。
なので母に事情を話して、一緒に商工会議所まで行ってもらった。
とにかく一緒にいてくれればいいから、と。
先に行なったテストについてや、実技で描いた絵についての結果説明や、スクールについての説明があって、
要するに、合格した。
まだ若く (何せ10代だもんね)、充分見込みあるので、是非頑張っていただきたい。みたいなことだった。
それとわたしの場合は、絵はまだまだ未熟だけど(習ったこともなかったし、ろくに描いたこともなかったし当然です。実際絵なんてどう描いたらいいかも解らなかった)、これは今からやればちゃんと描けるようになりますから安心してください。と親に向かって言っていた。
そして、色彩感覚と構図感覚はプロ級です、と言われた。

ほんまかいな!?
てわたしは思っちゃったけどね。
だって、あんな試験でそんなことが、どうして解っちゃうわけ? 何で、そう言い切れちゃうの?
嗚呼なんて若く無知で生意気な、わたしだったことか。
そのスクール、今も続いているみたいだし。

相手はプロでベテランで、
わたしはまだ何にも始まってない10代の、ただの小娘だったのに。

1回ぐらいは何か描いたかも。
もう、記憶も無い・・

で、すぐに止めちゃった。
あまりにも生活が何変もして。

めんどいので割愛してザッと言うと、
家出して、同棲して、妊娠して、婚姻して、出産して、別居して、離婚して、母子家庭になって、働くことになって・・・
短期間に怒涛の時間を過ごす中で、絵のことは遠ーーーくに遠ーーーくに行ってしまった。
でも子供を生んだ時、まだ絵に未練たっぷりだったわたしは、
この子が成人して親の手がかからなくなったら、絵をやろう、そう思った。
そして極貧の母子家庭になったわたしは、
とてもじゃないけど自分の絵の具代を、
常に貧相な財布の中から、子供のことを差し置いて引き出す気持ちにはなれなかった。
そんな意思もなかった。
絵に関しては中途半端じゃなく、自分で納得いくまで徹底的にやりたいと思っていたので、
尚更半端なことは出来なかったしやる気にもならなかった。
全ては、この子が、大人になってから・・・


・・・そして、今に至る。


当時赤ちゃんだったその子、とっくに大人になってますけどね。
一切親の手を借りずに大変ながらもなんとか自活してます。
早くいい人と巡り合って、結婚して、普通に家庭を築いてほしい。と、普通の家庭の経験のない、娘にも経験させてあげられなかった、不甲斐ない親としては、願うばかりです。
じゃないといずれ娘は、親類縁者家族のいない、孤立した独り、になってしまいますからね。
だからせめて、自分の家族を作ってほしい、と、切に願うわけです。


ああーあ。
やっときゃよかったよ。絵。若い頃。
でも今振り返っても実際には金もないし、諸々大変過ぎて、当時絵はムリだったね。やっぱり。

金の問題じゃないやる気だ!気合だ!努力だ!絆だ愛だ諦めない気持ちだ!信じる心だ!とか仰りたい?あなた、世の中、そんなもん屁のように吹き飛んでしまう現実は、実に多々あるものですからね。実際わたしも、そうでしたし。


でもまぁ人生のご利用は賢く、なるべくお早目にネ(^_-)~☆
[PR]
by soranosoto | 2012-09-18 06:49 | ・ 今は昔の・・ | Comments(11)

・ジャズダンス・・


20~21歳の頃、勤めていた会社の近くにジャズダンス教室があった。
同僚の人達何人かで、習おう!という話しになった。
わたしは前々から、いつかダンスを習いたいと思っていたので、
あこりゃ調度いいと思い、ひとつ返事で参加することに。
諸々遣り繰り大変だなぁなんて思いながらも。

わたし、三つ子の頃からダンスが好きだったから。
ずっと、やりたいと思っていたのよね。でも漠然と・・

で、みんなでジャズダンス!の話は、すぐにチャラになった。
わたしも、もともと忙しい身だったので、
もうチョット余裕が出来てからやればいいや!なんてことで、
軽ーい気持ちで、止めにした。


そして・・・今に至る。


あの頃は、そのうち出来るさ!とね、極めて楽観的に、
これからこの身に起きることに、タカをくくっていたからね。
今のわたしが出来上がることになろうだなんて、
想像だにしなかった。
予想も出来なかった。

鉄は熱いうちに打たなきゃ、時間が経つと、錆びてボロボロになって、
如何ともし難い状況・状態になっちゃうかもよ~
人生のご利用は賢く、なるべくお早めにネ♪


ああ、あの頃、やっとけば良かったな、ジャズダンス。

あーあ。損した!
[PR]
by soranosoto | 2012-09-10 04:55 | ・ 今は昔の・・ | Comments(4)